2026.03.01
詩篇126:5-6
神様が創ってくださったこの自然界の原理は、「蒔いたものを刈り取る。蒔かないものは刈り取らない」という当たり前で、しかし偉大な原理です。実はこの自然界の原理は、私たちの人生全体に関ることだというのが、今日のポイントです。人生の中で良い収穫を得たいのであれば、良い種を蒔かなくてはなりません。
1、蒔いたものを刈り取る。
人生から良いものを収穫したいと望むのであれば、良い種を蒔くことです。人からの信頼を勝ち取りたいのであれば、誠実、正直、忠実などの種を蒔かなくてはなりません。家族からの愛が欲しいのなら、家族に対して愛の種を蒔かなくてはなりません。
人間の不幸は、蒔かないところから収穫を得ようとするときに始まります。種を蒔いていないのだから、刈り取りができるわけがありません。自分はどうしてもらえないのか、と不満に思う前に、自分はふさわしい種を蒔いているかどうかを吟味する必要があるのです。
またもう一つの不幸は、悪い収穫を刈り取ることです。不誠実とか、浪費、自己中心の種を蒔くのなら、悪いものを収穫しなければならないのは当然です。良い種を蒔き、良い収穫を得る人生を建て上げていこうではありませんか。
2、神には捧げる。
神様に捧げるということは、人生において良い種を蒔くことであり、素晴らしい祝福の収穫を得る道です。私たちは常に選択を迫られます。神様を信頼するのか、自分の知識や能力に頼ろうとするのか、選ばなければなりません。しかし、神様を信頼するという種を蒔くならば、必ずやその報いを刈り取ることができます。神様にはできるという信仰の種を心に蒔いて生きていくのであれば、必ず人生のどこかで、それを刈り取ることができるということです。自分の人生を変えたいと望むのであれば、「神にはできる」という信仰の種を蒔き続けることが大切です。「神にはできないことはない」という信仰の種を蒔きましょう。それも逆境のときほど、つらい時ほど、神に望みをおく種を蒔いていきましょう。
3、人には与える。
『受けるよりも与えるほうが幸いである。使徒2:35』何故受けるよりも与えるほうが、幸いなのでしょうか。それは良い報いを刈り取ることになるからです。これが神様のお造りになった人生の原則です。
わたしたちが幸せに生きようとするときの、最大の試練は何と言っても、「自分のために生きろ」という誘惑です。現代社会は、自分中心の、自分本位の生き方をどんどん推奨しています。しかしこのような利己的な姿勢でいる限り、その人の人生は実りのない、決して満たされることのない貧しいものになります。
人は何かを与えるために生まれてきたのです。これは真理です。「受ける」側から「与える」側になったときに、人は自分の本当の人生の目的を見出し、充実した人生を送ることができます。種を蒔いて、人生の流れを変え、実りのある、豊かな人生にしていこうではありませんか。
受けるよりも与えるほうが幸いである。使徒20:35