その151 主の祈り⑥

2017.11.05

「私たちを試みに会わせないで、悪からお救いください。」

この祈りのテーマを一言で言うならば、「苦しみのとき、私たちは何ができるか?」です。人は、生きていれば必ず試練を味わいます。自分の力では、どうすることもできないことが多いのが、私たちの人生であり、社会です。でもそのために、主は祈りを教えてくださいました。

苦しみのとき、試練のとき…

1、私たちは祈ることができる。

苦しみや痛みは、望ましいものには見えませんが、しかしそれらは、私たちを祈りに向かわせます。試練を通して私たちは鍛えられ、ただ神様だけに、解決があることを信じる信仰が養われるのです。

苦しみより怖いものは、神様が見えなくなること、神様が信じられなくなることです。ですから時には、苦しみとは違う方法で、神様を見えなくするもの、神様を信じさせなくするような試練がやってくることがあります。それは快楽かもしれません。お金かもしれません。人の誉める言葉かもしれません。それらの一見良いものに見える誘惑にも注意する必要があります。

苦しみや誘惑のなかで、私たちは「主よ、救ってください。守ってください」と祈ることができます。この祈りの力を信じて、今日も明日も歩んでまいりましょう。

2、必ず助けだされることを信じる。

イエス様はただの気休めや慰めのために、この祈りを教えてくださったわけではありません。この祈りには力があり、祈るならば、必ずや天におられる父が聞いてくださり、地上に御心を行ってくださるのだと、確証を与えておられるのです。

誰でもたまには弱気になります。しかし神様は、決して耐えることのできないような試練を与えることはないのです。どんな苦しみの中でも、神様はあなたを覚え、あなたを愛し、あなたを助けようとされているのです。この祈りには、人間の不可能を可能に変える、神の力が満ちています。試練から助け出してくださる神を信じて歩みましょう。

「国と力とさかえとは限りなくなんじのものなればなり アーメン」

3、神様のために生きている。

「天におられる私たちの父よ」で始まるこの主の祈りは、「すべては神様、あなたのものです」という告白で終わっています。私たちのために神がおられるのではなく、神様のために私たちは生かされています。神様に従い、神様の栄光を表し、神様に感謝を捧げるときにこそ、私たちが生きている意味と目的が明らかになります。私たちを新しくし、本当の生きがいというものを与えてくださる神様にすべての栄光があるように。これが赦された私たちの心からの願いです。この主の祈りによって、これからも力強い信仰生活を歩んでまいりましょう。

今週の暗証聖句

あなたがたのあった試練はみな人の知らないようなものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを耐えることのできないような試練に会わせるようなことはなさいません。むしろ、耐えることのできるように、試練とともに、脱出の道も備えてくださいます。                        1コリント10:13

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