2026.06.21
士師記9:1-25
アビメレク
今日扱う登場人物は士師ではありません。士師ギデオンの息子にあたるアビメレクという人です。ギデオンの死後、人々はまた神を忘れ、神にそむくようになります。そこで、このアビメレクという人が、母の出身地であるシケムを後ろ盾にして、残りの子どもたち(1人ヨタムという人は除きますが)、兄弟を殺してしまい、自分がイスラエルの王となろうとしたのでした。この人物から真のリバイバルに必要なことを学んでまいりましょう。
1、リバイバルは高ぶりではなくへりくだりが必要。
アビメレクは「自分が王になりたい」「人の上に立ちたい」「自分の思い通りにしたい」という野望によって行動しました。現代の世界にも、このような野望をもって人の上に立とうとする人は多くいると思います。
聖書はリーダーシップについて明確に押しています。
マタイ20:26 あなたがたの間では、そうではありません。あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、みなに仕える者になりなさい。
そしてそのモデルはイエス・キリストです。神はへりくだるリーダーに油を注がれます。リバイバルはへりくだった心からはじまることを覚えましょう。
2、リバイバルのためには神のことばに立ち返ることが必要。
士師記の大きな問題は、「めいめいが自分の目に正しいと見えることを行っていた(士師17:6)」ことでした。神から離れると、人間は自分を基準に生き始めます。
しかしリバイバルとは、神の言葉に立ち返ることです。ウェールズ・リバイバルでも、平壌リバイバルでも、人々は聖書の前にひれふし、罪を悔改めました。日本のリバイバルに必要なのは、新しい方法ではなく、神の言葉への回帰です。
詩119:105 あなたのみことばは、私の足のともしび、私の道の光です。
今こそ私たちは神のことばに立ち返りましょう。
3、リバイバルのためには、自己実現ではなく、神の栄光を求めることが必要。
アビメレクは自分の王国を築こうとしました。しかしリバイバルとは、神の王国が拡がることです。
リバイバルが起こるとき、人々は「私が」「私の教会が」「私の働きが」ではなく、「主よ、あなたの御名が崇められますように」と祈るようになります。アズサ・ストリート・リバイバルでも、人々は人間を見上げたのではなく、ただキリストをあがめました。リバイバルとは、自分の栄光ではなく、神の栄光を求める運動なのです。
アビメレクの物語は、私たちに問いかけます。「あなたは自分の王国を築こうとしているのか。それとも神の王国を求めているのか」
そして日本のリバイバルも、一人ひとりが神の前にへりくだることから始まるのです。
終わりの日に、わたしは、わたしの霊をすべての人に注ぐ。あなたがたの息子や娘は預言し、年寄りは夢を見、若い男は幻を見る。その日、わたしは、しもべにも、はしためにも、わたしの霊を注ぐ。 使徒2:17-18