2026.09.20
士師記11章
士師の時代⑨ エフタ
イスラエルはアモン人という敵に戦争をしかけられ、悩まされていました。その敵の圧迫からイスラエルを解放するために神に用いられたのは、エフタという人でした。エフタを通じて、リバイバルのために神に用いられる人とはどのような人なのかを考えてみましょう。
1、リバイバルは傷ついた人をも用いて始められる。
エフタは恵まれた環境から出てきた人ではありません。「エフタは勇士であったが、遊女の子であった」(11:1)。さらに兄弟たちから「あなたには私たちの父の家を相続する権利はない」(11:2)と言われ、家から追い出されました。つまりエフタには、出生による傷、家族からの拒絶、過去の痛みがありました。
しかし神は、「あなたは家庭環境が悪かったから使えない」「過去に傷があるから使えない」とは言われませんでした。むしろ、人々から捨てられたエフタを、イスラエルを救うために用いられました。聖書には、色々な人が神様に用いられた話が出てきますが、必ずしも裕福な家庭出身とか、学識に富んでいる人が選ばれたわけではありません。むしろ世から見捨てられたような人たち、忘れられているような人たちが、神様に見出され、偉大な働きをするようになるのだと教えています。
ここにリバイバルの希望があります。神が求めておられるのは、傷のない人ではありません。神に自分を差し出す人です。ギデオンは自分を「一番小さい」と言いました。エフタは家族から追い出された人でした。それでも神は用いられました。日本のリバイバルも「もっと立派な人が現われたら」「もっと力のある教会ができたら」始まるとは限りません。神は、今ここにいる私たちを用いることがおできになるのです。
2、リバイバルは人間の力ではなく聖霊の力によって起こる
士師記11章で最も重要な言葉の一つが29節です。「主の霊がエフタの上に下った」(11:29)。エフタが「勇士」だったから勝利したとは書いてありません。「能力があった」「知恵があった」とも書かれていません。エフタが勝利することができたのは、主の霊が彼の上に臨んだからなのです。
そしてこれは、日本のリバイバルにもそのまま当てはまります。
私たちは日本の宣教を考えると、「クリスチャンが少ない」「教会が小さい」「若者が少ない」「伝道してもなかなか人が来ない」と、自分たちの足りなさを見てしまいます。
私たちに対する戒めとして、エフタが不必要な誓願をしてしまったために娘を失うという記事もあります。リバイバルを求めるからといって、熱狂だけでよいのではありません。しっかりと神の言葉に根差したうえで、聖霊に満たされる必要があります。
しかし、リバイバルを起こすのは私たちの力ではありません。
ゼカリヤ4:6には「権力によらず、能力によらず、わたしの霊によって」とあります。日本のリバイバルのために一番必要なのは、私たちがもっと強く、もっと大きくなることではなく、もっと聖霊に満たされることなのです。
神は傷ついた人をも用いられ、聖霊によって力を与えてくださいます。リバイバルに必要なのは、完璧な人ではなく、聖霊に満たされ、神に自分を差し出す人です。主のために、立ち上がりましょう。
今週の暗証聖句
聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。 使徒1:8